人材論の復習(コラム版)

 人材類型で、「人財、人材、人在、人罪、人災」という言い方がある。「見ざる、言わざる、聞かざる、せざる、動かざる」の”5ざる(猿)”ではなく、「見るぞう、言うぞう、聞くぞう、やるぞう、動くぞう」の”5ぞう(象)”型人間という言い方もあった。
 二つの言い方とも、具体的な行動を勧め、コミュニケーションや現場主義の大切さを説くものだ。
 昭和50年代から平成初期の頃にかけて(20年余り前)、「地方分権」や「地域活性化」が熱く、盛んに語られ、実践された時代があった。県の事業名でいえば、「新島根方式」とよばれた集落振興事業(S、50〜)、「まちむら活性化事業」(S、59〜)、「住んで幸せ島根づくり事業(3S事業)」(H、3〜)などがその代表例だ。それまでの補助金は、「使途を全て要綱にしたがった使途に縛っていた」のとは異なり、「地域の話し合いで振興策を練り、それに従った事業メニューに予算を使う」ことができる新しい発想だった。この理念は島根が全国を先導した。
 例えば、竹下内閣の「ふるさと創生1億円事業」は昭和63年のことで、その発想のもとには、こうした島根県の「地域住民が話し合いで地域づくりを進める事業」があったと聞いている。
 それから四半世紀が経過した。当時、議論の中でよく使われたこの「言い回し」は、使い古された表現であるが、平成に育った若い世代には語り継がれていないとすれば、”蔵出し”をして披露する意義があろう。
 一般論でいえば、われわれ山陰人は積極的な社交は得意ではない。出雲人が典型である。もっとも、国際社会にあっては、日本人の評価が同様に指摘される。ということは、「国民的気質」であって、われわれに限らないが、山陰は極端ということになる。
 その気質をあらためて注釈すれば、自己アピールはもとより、弁舌と論理でもって世渡りをするのは苦手だ。「あうんの呼吸」を重んじ、相手が嫌がりそうだと思えばはっきりとは言いきらない言い回しを文化とする。
 その”美風”が、穏やかで人情味豊かな地域性(国民性)を今に残し伝え来たことは評価に値するが、他方、それが地域(国)の進歩の足かせとなり新進の気概に欠ける点は否めない。
 最近、コミュニケーションに難があったり、積極性や気迫、気概に欠ける若者の例をよく聞く。むろん、そうではない頼もしい新進気鋭の若者も多数存在する。私の近辺の若者は、概してみなそうだ。
 最近の世の男の最も高い資質は「やさしさ」で、「あつい(A)、こゆい(K)、ばんから(B)」株は買い手がつかないらしい。かくして”草食系男子”なる絶妙?な表現が生まれてきた。日本の若者が海外留学や海外に出かける職場や出張を嫌がったりする傾向にあるという。日本ほどいい国はないことからしたらそれは頷ける。しかし、日本が今や、「国家存亡の危機」という表現が決してオーバーではないほどの難局に直面している今日、道を誤れば、もしかしたら、「日本ほどいい国はない」時代が過去のことになりかねない。今後の進路は、進取の気概に富み、積極的に“うって出る”、これからを担う若者に託すしかない。
 地方定住にあっても同様だ。地域の良さの認識が高まり、できるだけ多くの若者に地域に定住して欲しい。欲をいえば、その定住者が「5ぞう型の人財」であって欲しい。「人材」は大歓迎のうちに入るが、「人在」は少し見きわめをしてから。
 そうした若者に、したたかに、しなやかに、肝太く、大胆にチャレンジして県勢振興を進めて欲しいものだ。
 先日、「侍の生き様」を揶揄した江戸時代の言葉を知った。「世の中は、左様、しからば、ごもっとも。そうでござるか、知らぬ、存ぜぬ、で一生過ごす」(吉田達さんのブログから引用)
 現代のことではない。世界史の中でも稀にみる太平の世であった江戸の武士のこと。もしこうした人間が今に生きていれば150歳を超えるから、このタイプがまさか生き延びて身辺にいることはなかろう。
 平成の太平は終わった。日本経済を主導してきた電気製品メーカーはテレビ製造では韓国に追い抜かれた。円高、ガソリン高。エネルギーの不足と高騰。雇用不足と期限雇用。個人消費の減少。価格競争と価格破壊など。どれ一つとってみても好転に転じる出口さえ見えない。
 地域の市場でいえば、島根県は毎年5千人(鳥取県は4千人弱)の人口減だ。一人百万円の消費として計算すると、50億円(鳥取40億円弱)の市場が毎年消失することになる。5年では250億円(鳥取200億円)減だ。
 地域産業は、医療、介護、葬儀、法要などの “人生終末期前後を市場とする産業”ばかりが隆盛で、他の産業の振興がないようではいた仕方なかろう。
 何もしないで情況の変化に気づかない例えに、「ゆで蛙」が使われる。鍋の中の蛙が水から序々に熱せられて、それに気付かず茹であがってしまうことをいう。(実際にそうなるかどうかは確かめたことがない)
 山陰中央新報の談論で、宮脇秀和さんが提唱された「何もしないという無駄をしない」との考え方(昨年8月20日)をしっかり共有して、前傾姿勢でことに当たりたい。ホームランは打てなくても、バントヒットででも、一歩でも二歩でも前進したい。冒頭の人材論を、世代を越えて共有したい。そうした思いでの紹介だ。
 (7月14日付け談論風発に寄稿したものの「コラム版」です。
 談論では字数の関係で書けなかったことを補足しています。
 談論の文“「5ぞう型の人財」であれ”と合わせて掲載します。)


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