日本語はすばらしい

日本語は優れてすばらしい!

 日本語はまことに優れた言語であると思う。話し言葉としても、漢字、かな(カナ)を併用する書き言葉としても、そして書かれた情報を記録・伝承する言語としても優れている。今まで、日本語や比較言語学に多少の関心を持ってきたので、「日本語は主語、述語がない」とか、「最後の“だ”か、“でない”まで聞かないと肯定か否定かわからない」とか、専門家が言う悪口をさんざん読んできた。
 明治の文明開化では日本語廃止論があったことや、戦争と敗戦に至った歴史観を否定するあまり、「敗戦を機に日本語をいっそのことフランス語にかえたらどうだ」と言った著名な小説家のことも読んだ。漢字は覚えるのが大変だから、それに学習時間を割くよりも漢字を廃止して、ひらがな書きかローマ字書きにしたらどうかと、言語学の専門家達が真剣に論じた歴史もある。そのいずれもが欧米語崇拝に偏った考えだが、それが実現しなかったことはまことに幸いだった。

 「お茶をどうぞ」や「帰ったら電話する」では、誰が誰に言っているか、主語、述語がなく不完全な表現だと言われる。しかし、それが会話された場面では、話し手、聞き手は当事者同士だから誤解の余地はない。日本語は「場面依存度の高い方式」で、ヨーロッパ語などは「表現方法に伝達内容を正確に盛り込む方式」だという。この日本語を肯定する説に賛同する(「話しことばと日本人」水谷修)。

「しょうがつに、がしこうかんかいがひらかれる」。これは何のことかわかる?

「にゅーいやーにとしがあらたまったので、ほーるなどにいちどうがかいして、そうごにねんがのあいさつをかわすかいごう」のことです。正解は「賀詞交換会」。

 こうした場合(意味や漢字がわからなくて)、それを調べる国語辞典では、まず「かな」で引き、めざす意味や漢字を調べる。異なる漢字表記の同音異義語の中からを探すことも多い。かな(カナ)こそがほぼ完全な表音文字だからできるが、英語などのアルファベットではスペルがわからない単語の引き方はどうだろう?

 また「ニューイヤー」と漢語以外の外来語はカタカナ表記するのも特色で理解しやすい。第一、かなばかりでは「漢字かな混じり文」のようなスピードでは読めない。例示したひらがな文を読めば、そのことも、日常用語の相当数が漢語由来の言葉だということもよくわかる。

 記録・伝承の分野ではどうか?先日、奈良での正倉院展、古事記展、島根古代出雲歴史博物館での鰐淵寺展を観覧し、和紙に墨書された古文書の多数を目にした。古事記展では畑から出土した古事記編者太安万侶の銅版製墓誌の展示もあった。正倉院や鰐淵寺などでは、和紙に墨書された文書が長い歳月を経ても墨もあせず立派に保存されている。この「和紙・墨書・漢字(かな)」の保存力と時を超えたメッセージ力は優れた日本の文化だ。

 つぎに、出雲弁などの方言の語彙の豊かさを紹介する。「もそぶ」は標準語の「運ぶ」とは違い、「“重たいものを持ちあげて”場所を移動すること」。「雷は神様」だから「あまる(天下る)」わけで、「落ちる」ではいけない。「歯がはしる」疼きは他の言葉では表現のしようがない。
それでは、「たくなる」は?
電話の「か、かかぁか?」「かかぁ。かかぁ。」や「わぁわ、わぁ。わぁわわ、わぁわ。」は出雲弁の愉快な傑作だ。
(諒)

補足 点睛では字数の関係で短縮した部分があり、寄稿文と一部異なった部分があります。


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