「おしゃれで凛」の出番だ

 「おしゃれで凛とした生涯現役社会・しまねの実現」。今まさに、これが地域づくりのキーワードとしての出番だ。このフレーズは、島根県「高齢社会振興ビジョン(2003年)」の表現で、団塊の世代が高齢者の仲間入りをした時の社会をイメージして作られた。
 ちょうど介護保険制度がスタートしたころで、介護問題と元気な高齢者のライフスタイルの二面からの計画だった。海外旅行や高度成長の企業戦士などの経験も豊富で、現代的でスマートな団塊の世代の老後を「おしゃれで凛とした生活」として提起した。しかし、その後の年金減額、医療費負担、介護保険料アップなどの状況変化は“想定外”だった。
 “想定外”と“”付きにしたのは、今考えれば当然予想すべきだったと思えるからだ。
 「団塊の世代が年金支給年齢となったから年金会計が逼迫した」との見解を見たことがある。冗談を言ってはいけない。出生者数の統計を見れば、「何年後の高齢者数は何人」と“算数”で予測が可能だ。それなのに国家の根幹として議論されないままズルズルと年金会計は悪化した。近年あわてて新規受給者から減額に舵を切ったから世代間に大きな不公平を生じ、これからの世代はさらなる減額が不可避では、年金制度に不信が強まる。
 老後の先行き不安で生活設計ができないから消費支出が控えられるという。確かに我が家計を見ればよくわかる。政治も行政も団塊の世代も、自らの問題として高齢社会モデルをしっかりと制度設計しておくべきだったと悔やまれる。

 恨み節はこれで終わりにして前向きに考えよう。

 21世紀の世界の課題は資源・エネルギー・環境問題と宗教や民族の対立で、その混迷を救うのは日本古来の多神教的な価値観だと識者の多くが提唱する。その一つが、自然との共生、資源・エネルギーをできるだけ化石資源に頼らないこと、地域内で循環させること、3R(リデュース、リユース、リサイクル)や「もったいない」などの考えだ。これは「ちょっと昔の生活に返る」ことにつながる(「ちょっと昔」が昭和39(1964)年の東京オリンピックや高度成長期以前だとすれば、ちょっとではなく「もう50年前」ともいえそうだ)。
 この「昔に返る」ことは、古き因習にとらわれず、良俗のみを選択的・創造的にすればよい。
   それは、「自然の“生命”を身近に感じ、その生命を育み加工する“生産”と、それをいただく“生活”の「3つの“生”」の良好な関係の中での、地域内循環や地域での協働・共生をめざす地域づくりだ。「進歩とは効率化、合理化だ」という考えに傾斜しすぎた価値観の転換だ。「里山資本主義」の理念と同じ考えだ。
 戦中戦後世代には貧しかったが不幸ではなかったころの記憶と実体験がある。何かしら「古き良き時代」が懐かしい気がする。おしゃれで凛と生きて生活を楽しもう。その生活は大都市ではなく地方にあることをアピールし、世界をリードするモデルとなろう。そのモデルが確かなものになることが“グローカルが世界を救う”だ。(グローカルはグローバルとローカルの両義で国際性と地域性の両方の要素を示す造語)。
 地域創生がお祭り気分の昂揚でやかましく喧伝されそうだ。それに惑わされず「本物の暮らし」を実践している地域とその魅力が評価されることを信じる。
                                 (諒)

(注)最後の段落など一部、字数の関係で点睛では省略した部分を復元した


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