道州制に「待った!」

地域振興のメリットなし

 昨年12月の総選挙の論点としては全く取り上げられなかったが、地域の将来に極めて大きな、深刻な問題が政治の俎上(そじょう)に挙げられてきた。道州制の推進だ。
 地方は、人材や食料を供給し、古来の文化を継承している。気候・風土や社会・経済・文化など世の中全般にわたっての「多様性」を保全することで、我が国の”存在の厚み”を形成している。
 道州制は、これを大前提として、それにどういう影響があるかを慎重に検討したうえで初めて論じるべきであって、「経済活動は都道府県のエリアを越えて広範囲でなされるのだから、行政エリアも広域にすべき」「今の行政制度には無駄が多い」という単純な構図で語るべきではない。
 道州制は、地方分権を進めるため、県の機能をできるだけ市町村に移行し、都道府県を廃止して「州政府」を作ろうとするものだ。しかしながら、州都に行政権限だけではなく、様々な機能や権限が集約されることとなり、山陰は衰退する。これでは「地方分権による地域振興」「国土の均衡ある発展」や「多軸型国土の形成」に逆行する。
 そもそも「地域文化、地域教育、地域スポーツなどの地域の括(くく)りや内容をどうするか」など、道州制により地域がどう変わるかは何も論議されていない。あるいは推進派にとっては、そういう「ささいなこと」はどうでもいいこととして意識的にはぐらかしている。
 3・11以降、国家的な最重要事項は安全・安心になった。ローカル・エネルギーなどの地域資源の活用も重要だ。竹島や尖閣などの国際問題は風雲急を告げている。これらはすべて”国家課題”であると同時に”地域課題”である。「国家は外交や国防を、地方は道州制で内政を」という二分論による地方分権は、国土が小さく交通網が発達し、情報社会となった”小国日本”の社会構造としてはなじまないし、国家機能の分権はむしろ非効率で国力を分散する。
 経済をはじめ諸活動での県境を越えた広域連携は推進すべきだが、「地域の個性や文化の枠組み」としては州は広すぎるし、市町村では弱いし狭すぎる。
 関東圏や関西圏は一体的均質な地域だとして「州政府」がふさわしいのであれば作ったらいい。地域の枠組みは地域の選択に任せられるべきものだ。
 道州制を中国地方について見たとき、冬の豪雪や除雪対応を、瀬戸内側になるであろう気候の違う州都の政府が真剣に取り組むだろうか?離島や山間地の高校は州立として存続するだろうか?小・中・高ではふるさとの歴史や文化などをどう教えればいいだろうか?山陰の役割は観光と憩いの場だけ?各種文化催事やスポーツ大会を開催する場合の地域の枠組みは?県庁は権限も財源もない支所?福祉や商工などの県を単位とする各種団体は格落ちの支部活動か消失?県の定住対策、過疎対策、少子・高齢化対策などは全て市町村の仕事?
 こうしたことを検討すると、道州制は「地方自治」というよりも「国家機能の分権」だ。肝心の地域の振興に寄与するメリットが浮かばない。
 「県」の制度は、明治維新から150年の歴史がある。県を構成する出雲、石見、隠岐、伯耆、因幡などの「國」は1千年以上前の律令(りつりょう)制からの地域文化やそれを継承する活動の枠組みだ。県制か道州制かの選択は、単なる行政統治や経済の枠組みの問題ではない。
 国家と民族の盛衰は、経済的繁栄のみにあらず。我が国が現在、国際的に高い評価を受けているものは、経済の部分よりむしろ、歴史、文化の部分であり、それは細長い日本列島の気候風土に育まれた文化の多様性である。「美しい国 日本」は、地域の多様性を継承する中でこそ存立する。それが、道州制による地域の均質化によって失われる。「やってダメなら引き返せばいい」というわけにはいかない。


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