地方版総合戦略 (理事長 藤原義光)


 島根県の「地方版総合戦略」の骨子が発表になった。
「有識者会議」や市長会、町村会とも意見がかわされている。私は、この骨子を斜め読みしたに過ぎないが、報道されているような”総花的”であるとの批判は、”県の行政計画”である限りはある程度はやむを得ないと思う。こうした県が策定する計画は、取り上げる項目別の濃淡の付け方の議論は別として、行政分野のすべてに亘ってまんべんなく記載を必要とする”宿命”を負わされているからだ。
 そして、「人口定住政策の先進自治体」の島根は、「ふるさと島根定住財団の取り組み」のような、”総合戦略で想定される模範解答”を既に実施しており、新たな施策としてそれを描くわけにはいかないというジレンマ、言い換えれば特記事項がないという”悩み”がある。

 たまたま、県庁構内で出逢った、この計画策定の担当者は、市町村には「島根県の強みは、県と市町村が対等なパートナーとして、連携して地域づくりに取り組んできた老舗としての伝統だと説明している」と言った。まさにそうだ。これは、他県が一朝一夕では到達できない島根の行政文化だと思う。この行政文化は、平成4年を定住元年とし、3S補助金や、市町村振興室と定住企画課の設置、ふるさと定住財団を総合推進機関とした取り組み(産業体験助成、UIターン職業紹介、県外での就職フェアなど)、中山間地域研究センターの設置などで培ってきたものだ。
 しかし、この行政文化があるとはいえ、この10年の人口動態は残念ながら毎年5,000人の減少。この減少規模をはばむだけの力は持っていなかった。

 言わずもがなだが、人口定住対策は、見栄えのいい計画を策定すれば成果が出るような生易しい話ではない。

 産業振興などによる働く場の創出・確保を基礎として、教育・医療・文化・交通などの定住環境や産業インフラの整備、それを補完する思い切った定住施策が相俟ってはじめて進むものである。それが成果に結びついても、なかなか自然減を相殺するにはほど遠い。旭社会復帰促進センターの誘致では入所者と雇用数を合わせて2,500人強の人口増があった。こうした大型の施策がボンボンあれば数は稼げるけれどなかなかそうはいかない。
 大正9年(1920年)の最初の国勢調査時点の人口から現時点で人口が減少した唯一の県、島根県。なにも30万、50万増加させるビジョンである必要はない。10万、20万でいい。本音は5万でいい。しかし、この5万にしても自然減などでの毎年5,000人の減少を相殺しての増加数としては厳しい。
 しかし、厳しいからといってうつむいていては事が始まらない。厳しさには慣れているが、不感症になってはいけない。ここは前傾姿勢で討って出る施策が必要だ。

 総合戦略には基本方針に加えてプロジェクト事業を掲げて欲しい。それはたとえば次のようなものだ。もちろん荒削りの思いつきの要素が多分にあるが、まな板に載せて検討して欲しい。

〕機農業や6次産業などを支える商社機能を強化すること。
◆複家崟じではあるが)100村100逸品の選定と促進
エネルギーの地域内生産と、資源・金銭の地域内循環。これには、木質や自然エネルギーは発電の推進、里山資本主義の理念の実践などが当たる
づ租工芸や伝統技術の職人、建築技術者(大工、左官、電気、管工事など)の養成、後継者の確保。それに対応した教育体制の整備
ヅ垰圓旅睥霄圓離螢織ぅ∋点での積極的な受け入れ。これは国が制度と財源を整備することを強力に制度要望することを前提とする(国は政策には掲げたが制度設計と財源論がない)
γ楼莠匆颪鮹瓦β人佑蔽楼菴雄爐魄蕕討觧訶世任龍軌蕕亮租転換。例えば立身出世主義、学校優等生を第一とする尺度から多様なコースが選択ができる教育への再編成。


 ここからは、自問自答であるが、上記の問題提起を時間を措いて考えたのが次のことだ。
△裡隠娃旭鑄覆鮃佑┐襪、生産拡大が可能な逸品(日本海の漁業や岩ノリなどの自然に依存するものは除く)を考えるが、1次、2次産業での100逸品にはなかなか届かないものだとわかった。
生産物以外の要素、例えば自然休養村(クラインガルテン)や〇〇体験ゾーンなども対象とするのも一案だ。そして、100逸品の売り上げを「当面50%伸ばす」といった目標を掲げる。

イ砲弔い篤山さんが談論に寄稿していた。高度成長期に若者を労働力として吸い上げておいて、使い物にならなくなったから引き取れというような都市高齢者の地方移住施策は虫がよすぎるといった趣旨だったように思う。全国の知事の意見にも同じものがあった。


 私は、ふるさとが(ふるさとでなくても)、日本の経済を支えた都市高齢者を暖かく向かえ入れることこそが国家施策で推進すべきだと思う。高度経済成長期を中心として、「都市での稼ぎ」の配分を地方は受けて来た。その都市で稼いだ世代の受け入れだ。
 そのためには、「国策として都市高齢者移住のための法制度などの制度設計と財源措置を強力に進めること」を国に求めることだ。
 それなくしては、増田レポートにあった都市高齢者の介護問題は解決できないし、仮に解決出来るとすれば、そのための施設の建設と介護職員の雇用が都市に集中して、地域間格差はさらに拡大する。第一、国家財政はそうした施設の建設に要するだけの余力がありそうにない。
(例えば、来年度の地方創生関係予算は1,000億円との報道があった。新国立競技場2,500億円はそれの2.5倍)。しかし、余力がなくても整備が必要なものは整備しなければならない。そうであるなら、施設は地代の安い地方に整備する。それは地方の経済と雇用に寄与する。
 また、運営、メンテナンスの経済と、都市で必要とされ吸い上げられるはずだった介護職員の雇用が地方で生まれる。地方の物価水準と住宅事情は都市よりも低い額で済み、その分だけ介護職員の生活が設計し易い。生活や子育て空間としても地方が優位だ。
 本人の意に反して姥捨て山のごとくに移住させるのかという批判がある。もっともな意見だが、地方の交通、医療や文化的な都市環境は低水準でもやむを得ないとの前提だから{姥捨て山}との例えが出て来るのだろう。医療水準を都市から地方にシフトすればいい。情報化の今日では「医療水準の高い病院や名医」の処には全国から集まる。

 今、懸案となっている団塊の世代のかなりは地方出身だ。地方のDNAを潜在的に持っている。それを“活性化させる”ことが必要だ。
「帰りなん、いざ。田園まさに荒れなんとす」だ。


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