「Iターン」のこじつけ定義をしたぞ(理事長 藤原 義光)

 人口定住施策で“業界用語”として日常的に使う『UIターン』の「Iターン」はターンにはならないから変な用語ではないかという意見がある。先日の「こだま」欄にもあった。
私も使い慣れているとはいえ、本当は言語矛盾だと思っている。
もともとは、『UJIターン』といっていた気がする。「Jターン」は出身地の近くまでUターンする場合をいう。

 一方、正月や盆の帰省と都市部への帰宅を、マスコミが前者を帰省ラッシュ、後者をUターンラッシュと報道する。これではわれわれが使う意味とは移動の方向が正反対だ。
マスコミが使うのも間違いではなかろうが釈然としない。

 以前はマスコミも確か帰省=Uターンだった。要は起点をどこに置くかで、育った場所に置く定住施策と、居住地に置くマスコミの違いだ。

 これは、どうでもいい取るに足らないことのようだが、意外と深い問題が潜んでいると思う。

 故郷、出生地を出自と捉える文化の問題である。そこが地理的にも精神的にも拠り所とする文化が消失しつつあることを表象している。
東京とかの会社の社員と初対面では「どちらの出身ですか」と聞くのが今でも会話の切り出しに使われるが、これも出自はどこかという考えの残滓のようなところがある。
既に、明治の近代化から150年、戦後70年となった今日では、地方出身の2世、3世が人口の多数を占めるようになった。

 したがって、そうした概念が消失してもやむを得ないだろうが、国、地方が地方への定住施策を掲げ、それを『UIターン』と銘打って実施いていることに水を差すようなコトバの遣いかたは良しとしない。

 「Iターン」は理屈にならないと自問自答する中で、屁理屈が見つかった。それは次のとおりだ。

 人間は一日たりとも他の生命の恩恵を受けずに暮らせない。自然の生命の恩恵だ。
原初の人類ではそれを採(捕、獲)ったり生産したりする場所と生活の場所が一致していた。生まれた所とは違っても、そうした自然地域に帰る。原初の生活の場に帰る。だから「Iターン」だ。

 いままで、自然の「生命」、それを育くんだり加工したりする「生産」、それをいただく「生活」の「3つの生」の良好な関係こそが本来人間が生活する場所としてはもっとも好ましいと提唱してきた。
この延長にある定義として、いささかこじつけで、後付のきらいがあるが、「Iターンの意味」はこれに決めた。


次の文章は先日書いたものだ。


 新聞もテレビも「帰省ラッシュ」が終り、「Uターン」がピークと報じる。昔は、盆正月の帰省に「田舎に帰る」のがUターンだったし、我々の仕事は「UIターン定住促進」だ。
サケが生まれた川に帰るのもUターンだ。Uターンの言葉の使い方と意味には間違いがないがマスコミの思索の浅さを感じる。
影響力のある田舎出身の人材が少数派になったということか?
地方創生とは何なんだろう?
いっそのこと「両成敗」で「帰省ラッシュ」、「帰宅ラッシュ」としたらいい。現に外国から帰るのは「Uターン」といわず「帰国ラッシュ」と報じている。(ひねくれた閑人の考えることか?)


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