若者のやさしさにエール!

 先日、山陰の市町村では出雲、松江、米子、大山町と首長選挙があって米子市、大山町では新しい若手の首長が誕生した。
ちょうどそれが島根と鳥取で別れたことは何を意味しそれに何か要因があるのかないのかは分からないが、世代交代が有ったか無かったかは確かだ。
思えば、知事も国会議員も県議会議員なども概して鳥取が若い。70歳でアメリカ大統領の座を得たトランプと敗れたクリントンを例に出すまでもなく、年配だから駄目ではないにしても、次世代に繋ぐ意味では同じことなら若いにこしたことはない。

 若手政治家に想定する世代はかれこれ40歳前後だから、いわゆる「団塊ジュニア」だ。この世代は親世代の価値観である戦後民主主義によって育てられた。親世代が多少は経験した飢えや貧しさは最初から知らない。
「物の豊かさよりも心の豊かさ」「個性尊重、人権尊重」の価値観で心が育ったが、精神の強靭さに欠けた者が多いと言われる。
また、今、社会生活をスタートする世代も性向として「リスクをとらない、深い関係を作らない、干渉を嫌う、自尊心は高い」、したがって「挫折経験がない、忍耐力がない、協調性がない」といわれている。
採用側は教養試験や短時間の面接ではなかなか人物評価ができないから、「よかろう」と採用した結果がコミュニケーション力に難があったとも聞く。もちろん例外もあるから世代論は当てにならないともいえる。

 「近頃の若者はなっていない」は、エジプトのピラミッドの落書きにもあったという。ホントかウソかわからない話だが、いつの世でもそう言われたことは容易に想像がつく“事実を超えた真実”だ。

 「ゆとり教育」はその本意が理解されず見直しの対象になったものの、こうした情況も見るにつけても、それを進める目的に掲げられた「生きる力」は正しい理念だ。
その意味では、若者が「生きる力」を感じさせる活動をして欲しいと思うが、今の情況の責任は若者の側ではなく育てた側の社会や家庭の教育にある。

 しかし、こうした「ひ弱さ」も見方を替えプラスの物差しを当てれば「やさしさ」だ。何も青雲の志や立身出世主義を根っこに持って天下国家や政治を論じないからといって悲観する必要もないかもしれない。荒削りの野武士的な人格や濃い生き方は敬遠されるが、それも言い換えればスマートさだ。

 「農業・農村はかっこいい!」と地方に移住し農業や起業・創業を志す若者が増えている。生計を考えれば単なるあこがれだけでは済まない心身の逞しさも持ってのことだ。ここは一つ若者のやさしさにエールを送ろう。

 そう思えば、わが内なる立身出世主義こそが時代錯誤(アナクロニズム)かもしれない。
第一、家庭を顧みなかった独善は今になって日々高いツケを払わされている。                    (諒)


このサイトはオープンソースソフトウェアのRubyで構築されています。