「半農半X」の方程式(談論風発2011.10.29からの転載)

 島根県が進めている「半農半X」は、兼業の一形態であると思う。「X」には、「0・1〜0・9」までの多様な数字を入れることが可能である。業種については、IT関係や介護事業、新しい公共といわれる分野などを含めた、さまざまな中から柔軟な考えでの「方程式の答えを探す作業」が必要だ。島根県が公募する「半農半蔵人」などは、もともと杜氏(とうじ)が農閑期の作業であったことからしてもいい企画だ。「古い革袋に新しい酒を盛る」の例えのとおりだ。「ITと農村」は意外と相性が良さそうだ。情報化社会は地理的なハンディキャップのない世界だといわれて久しい。パソコンという無機質な相手と向き合う時間との精神、身体のバランスをとるためには、農村の四季の自然、風土、景観、生活のリズムなどは格好であり、最適ではなかろうか。UIターンのメニューとしての条件整備を検討したいものだ。

 地域のコミュニティーや高齢社会対応を、自らの地域課題として取り組む「コミュニティー・ビジネス」や「田舎ツーリズム」なども選択肢の一つだ。この場合、肝要なのは、「金銭経済至上主義」によらず「地域の資源、コミュニティー」や「地域内経済循環」も「勘定」に加えた価値観に基礎を置くことだ。いいかえれば、「都市の価値観」ではない「地域の価値観」での農村経営である。

 私は、「兼業農家は、日本の農業、農村の進化の形態だ」として以前からプラス評価をして来た。生い立ちが、兼業農家であり、集落のほぼすべてがそれで構成される農村であった。みんな平等に貧しかった。四季も年中行事もハレの日もその農村にあった。貧しかったが不幸ではなかった。その原体験が、今に至る私の人格や価値観を形成したと思う。

 兼業という形態は、機械化により稲作が手間のかからない、かかっても時期的に濃淡のある仕事となる中で、その環境に順応順化してきた農村経済の「合理的」な到達点であった。段階的な機械化の進展は、より多くの労働力の余剰を生み、より多くの時間が兼業先へと向けられた。高度成長期以降の公共事業がその受け皿の好例である。しかしながら、さらなる機械化、機械の大型化は、より高額の投資を必要とすることとなり、小規模経営の農村経済はその償還が重い負担になってきた。そして、その財源稼ぎにますます兼業による現金収入を必要とした。それに対処するためには、機械の共同利用、作業の受委託から始まり、今日の集落営農や営農法人化の推進に至っている。

 ところで、日本の農政は、兼業に対して、あまり好意的ではなかった。国の政策は、「農地の集約化による自立農家の育成、機械化省力化による高コスト体質からの転換」を掲げ、その阻害要因が、小規模な水田農業の兼業とされた。近年は、食糧の自由貿易に対応する国際価格水準への低コスト化が叫ばれている。

 そのために、公共事業による水田、農道などの整備や、水田農業からの転換、大規模生産団地造成、中核農家の育成、施設園芸の推進などの諸施策が進められた。また、構造改善事業や山村振興事業は、農村維持・振興の総合施策として進められた。

 こうした施策は、大規模団地の形成や中核農家の育成などでは、一定の成果はあったが、中山間地域にあっては、皮肉にも兼業の延命を助長し、現在に至っている。そしてその延命が矛盾を抱えながらではあっても、限界集落といわれる過疎化、高齢化による危機集落も含めた、農村の存続に寄与してきた。幸いにも存続してきたからこそ、「半農半X」の課題が提起できる。個々の農家としてだけではなく、農村経営上も、営農法人の業務としても、「半農半X」は知恵をしぼり答えを解く価値のある方程式だ。なお、本論は法人経営や専業農業を否定する趣旨では全くない。ふるさと島根定住財団も、産業体験支援や「ステップ事業、ジャンプ事業」などの地域支援事業を進めることを通じて数式解きの仲間に入りたいと思っている。


このサイトはオープンソースソフトウェアのRubyで構築されています。