でんどう

地域振興に関わる様々な方の意見、主張を掲載していきます。

平成が終わった後は?

 再来年(2019年)の正月から現天皇が譲位され新しい天皇(元号)がスタートする。
平成のスタートに「平成(元号)が終わる時には“平成(平静)”が終わったことを実感するだろう」と判じ物のようなダジャレを飛ばしたが、それから30年。
神戸大地震と東北大震災、熊本地震など地を揺るがす地震をはじめ、災害続きで決して平静ではなかった。この間の情報技術の進歩で社会の有様が激変した。
産業形態や就業構造も、人々のライフスタイルや価値観も変化した。いずれの変化も日々の変化は緩やかだったが、振り返ってみると大きく変わった。
端的なのは携帯電話の普及とスマートフォンへの変化だ。

 次の元号が何になるかは今から決まるだろうが、日常生活で元号を使うか、西暦を使うかに躊躇している。

 既に新聞記事や民間企業では西暦使用が主流になっている。官公署は元号が基本だから、お役所に身を置いていた私は元号で生活をしてきた。
山陰本線の高速化は平成13年、中山間地域研究センターの建設は14年、石見銀山の世界遺産登録は19年とすぐに思い浮かぶが、西暦となるとマイナス12年だから2001年、2002年だと換算して該当年にはたどり着くが、新聞記事の西暦ではその年に何があったか、どんな頃であったかの実感は全くない。

 それがこうした雑文を書いたり寄稿したりするときには不自由でしようがない。そうかといって、国際標準だからと、キリストの生誕を起点とする西暦を使うことにも抵抗がある。
世界史では西暦使用しかないと思う。しかし、エジプトの歴史をBC3000年とかキリスト生誕以前は遡った表記をする。これだってキリスト教の価値基準に代わるものがないからやむを得ないだけのことで特別な合理性はない。

 アメリカの大統領の就任式には今もって聖書に手を置いて神と国家に忠誠を誓うセレモニーがある。
昔、元号を制定するのは中国では皇帝の専権事項で、中国の庇護下にあった朝鮮王朝は中国の元号を使用した。それが現在、唯一日本だけが元号を使用している。
これを国際標準からずれていると認識するか、よき伝統と考えるか?そんなめんどうくさい屁理屈は要らぬとお思いか?

 秋篠宮家の真子様の婚約という慶事が報道された。皇室の今後のあり方の検討も急がれるという。
皇室や華道茶道の家元制度、資産家旧家は別として、戦後一貫して家制度は封建的な旧弊だと否定的に見られてきた。
その結果が社会では核家族化が進み、子の成人後は親とも子とも兄弟とも、時には夫婦関係もが弱くなった。それを知ってか知らずか、一方では家庭や社会の縁や絆の大切さが説かれる。
皇室・皇族への社会の関心が高まることを契機に、こうした家庭・家族のあり方を再考する機会にしたらどうか。
ただし、「覆水盆に還らず」だ。多くの期待は持てまい。(諒)

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