でんどう

地域振興に関わる様々な方の意見、主張を掲載していきます。

秋来ぬと、、、

 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
  (古今集169 藤原敏行)

 毎年この時期になると決まって思い出すこの歌は、まさに初秋の情感を見事に歌っていると思います。たった31文字の表現で、千年以上前に作られ、今なお私たちに情感を共有させるとは、秀歌の中でも格別の逸品です。そして、ここには、古来からの日本人の自然観が素直にすっと歌われていると思います。もっとも、当時の歌会は、文字でなく、音声で表現されていたと聞きます。したがって、「秋来ぬと」との言葉で、まず、聴き手は「うぅん?」となり、続いての、「目にはさやかに見えねども」でさらにググッと関心を引き、しばしじらして、「風の音にぞ、、、、おどろかれぬる、、、」と余韻を残して結ぶ。おそらくこうした発表であったのではないかと、歴史も古文も浅学ながら推測しています。(そうであったと読んだ覚えがあります。)


 「風」をどこに見るでしょう?どこに音を聴くのでしょう?私は、山の端の雲に秋を感じます。「風の音」とあって、「見る」はないだろうというのが理屈でしょうが、ここは、「風を見る」と勝手に曲解します。


 もう1つ、この時期に思うのは、盆が過ぎると途端に住宅地の我が家の庭でさえ虫が鳴き始めることです。コウロギもスズムシもそれまで何を食べて生育したのか、庭ではそれまでとんと姿を見ず、声も聞かなかったのが、文字通り「虫が湧く」ように鳴き出します。そして、秋の深まりとともにやがては、声が寂しくなり、とだえがちになってついには声も消える。でも、こうして翌年へしっかりと生命はリレーされている。


 本当は、もっと中山間地域に暮らせば、さらなる虫たちとの「共棲」があるでしょうが、私の場合には、その暮らしは幼少年時代の記憶の中です。光と音と匂いとを5感で感じ、旬を食し、季節を生きる。それが、「生命」、「生産」、「生活」の3つの「生」が良好な関係にある生活です。私の場合は、やや自然度の低い松江住まいです。それでも、季節はそこかしこに感じられ、休日などでは実家に向かったりします。昨日は、古代史博物館、出雲弥生博物館、古民家リフォーム視察を主目的に動きましたが、早、稲刈りはそこかしこで始まりました。道端のクズの花は今が盛りです。


 私の友人で里暮らしでそれを実践している人がいます。彼のホーム・ページにはその生活ぶりが写真とエッセイで紹介されています。彼の許可を得てアドレスを紹介します。覗いて見てあげてください。(この場合は「やって」ではなく、尊敬の「あげる」でいいはずです)
http://satoyamism.exblog.jp/


 松江に限った話になります。宍道湖の夕日は、四季折々に感動的ですが、秋は夕暮れのもの寂しさとの相乗でことのほか美しく、「もの哀しさ」をそそります。ちなみに、今の時期の松江の日没は、6時半前で月末には6時を切ります。

トップへ戻る