でんどう

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「子どもの心」をスイッチ・オン!

司馬遼太郎が63歳の時のエッセイに「高貴な子ども(「風塵抄」所収)」がある。「人間いくつになっても精神の中にゆたかなコドモを胎蔵していなければない。芸術を作ったり、たしなんだり、鑑賞したりするのはコドモとしての部分がなせるわざだ。感動のある人生を送るためにはそれを干からびさせてはならない」(要約)と説いている。

子どもの心とは、純心な感性や率直な好奇心であり、想像力(創造力)の源だ。青春時代にはそれが純真さや、ひたむきさとして表われ、熱情や熱い志、正義感の泉源となる。まさに「干からびさせてはならない」ものだ。

浜田市出身の画家石本正さん(石正美術館が絵を収蔵)が存命中に、インタビュー形式での話を聴いたことがある。当時88歳の石本正さんからの「僕が絵を描くのは僕の子どもの心が描かせるからだもの。僕、鉛筆さんやぼっこう(魚のボッカ)とは今も友達だもの」とまさに司馬のエッセイどおりの発言には驚いた。

このエッセイには、「女教師に“聖性”を見出すのも子どもの心だ」ともある。私の思春期の告白だが、ある代用教員についての淡い、しかし今も鮮明な思い出がある。その女教師は10歳年上だったから25歳で、女として最も魅力的なころの“聖性”に紅顔の少年が懸想した。司馬のエッセイは、それとオーバーラップしたから、琴線を強く弾いた。

近頃の人間関係は希薄で軽く、濃い関係は自他どちらもが傷つくリスクがあるからと回避する傾向にあるという。それでは、懸想や純愛も、燃える恋もためらうことにならないかと心配したくなる。

芸術に話を戻すと、私は音楽が苦手だ。ダンスなど人前で音楽に合わせて身体を動かすことも気恥ずかしくて全くできないし、クラシックなどは聴く耳が備わらなかった。しかし、根強い人気の懐メロ番組はいつ聴いても心情を打っていい。情緒豊かな童謡・唱歌や歌謡曲、フォークソングにはお気に入りもある。奥村チヨが情緒たっぷりに歌った「恋の奴隷」の「最初は好きだとぅ思わなかった。いーちぃど(一度)だけお茶なんか、飲んではみたけど、、、二度が三度に度重なってぇ、好きになったの。あなたのことを!」を思い起こして恋心の真髄を見る。讃美歌とは知らなかった「アメージング・グレース」には癒され、わが葬送曲に決めている。

絵が描ける人はうらやましい。私は小学生の孫にさえ負ける。
絵画展などのテープカットでは「絵は苦手ですが、次に人間に生まれてきたらやりたい」とうそぶいてきた。

司馬はこうも言う。「子どもの心とは他人に甘えっぱなしや幼稚さとは違う。義務を弁え節度を備えた凛々しいものだ」

さあ、子どもの心が眠っていたら呼び覚まそう。子どもの心をスイッチ・オンにすれば人生が楽しくなる!人生が豊かになる!

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