でんどう

地域振興に関わる様々な方の意見、主張を掲載していきます。

雪がとけたら何になる?

理科では「雪がとけたら何になる?」の答は、「水になる」が正解だ。しかし「春になるは✖か?」との問いに答えるのはむずかしい。近頃、小学校低学年では「理科」「社会科」は「生活科」という総合的な学科だから、「春になる」もいいし「忙しくなる」や「嬉しくなる」も想像力豊かないい答えだと思う。

しかし、先日、何人かの小学生にこの質問をしてみたが「春になる」は出て来なかった。雪深い山村の、待ち遠しい春がやっと来た実感があってはじめて出てくる答なのだろう。

唱歌「早春賦」にうたわれるような風の冷たいある日にふきのとう取りに行き、やっと小さなもの2つ3つを見つけた体験を、息子が「春はまだ赤ちゃん!」と作文に書いた。息子が特別なわけではなく子どもはみな詩人だ。

雪多い寒村で育った私の早春の思い出は、暖かい陽ざしに雪解け水がちょろちょろと流れ始め、雪のトンネルや小さな水たまりができる光景だ。静間の中、雪に押し下げられていた木々の枝がはね上がり雪を落とす音もする。春を感じるとなんとなく心が浮ついてくる。残雪で登りやすい裏山に上って遠くを見たりもする。殺風景な寒村だから山の上から見えるのも山ばかりで、その谷間に一本の里道が見え、その下(しも)には小学校があった。日常の世界はそこまでで、その道の先の“広い世界”には年に何回かしか縁がない少年時代だった。

やがてその道を下って、中学、高校へ行き故郷を離れて大学へ行った。

故郷を離れる時、小学校の同級生たちが、私と美容学校に進学する級友との送別会を開いてくれた。春日に伸びだした柔らかく甘い新葉の白菜やネギなどを持ち寄ってのすき焼きだった。「雪がとけたら別れの季節になる」記憶だ。

「回春」には「再び春が巡ってくる」と「若返る」の2つの意味がある。前者は異常気象とはいえ毎年巡ってくるが、後者はもう私にはない。しかし、人生の思秋期には、誰もが幼少期からの原体験を回顧(回春)し心の中で追体験したくなるもののようだ。

舟木一夫の「高校3年生」は団塊世代にとってはセピア色の青春懐古だが、ことに「赤い夕陽が校舎を染めて、楡の木陰にはずむ声」は体育祭の準備を彷彿とさせるノスタルジーだ。私には「クラス仲間はいつまでも」を続ける6人の高校仲間があって、家内同伴の“同窓会”を毎年あちこちで開きついでに観光する。

「自然に還るその日」は神のみぞ知るが、それまでのしばしの間を、古希を迎える妻と四季を楽しんだり世を憤ったり、日々けんかしたりと、苦楽を伴に過ごすこととしよう。(諒)

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