でんどう

地域振興に関わる様々な方の意見、主張を掲載していきます。

もっとテレビを見なさい~時代はここまで来た

 「テレビを見すぎるのはやめよう」。これが10年前の呼びかけだった。

 近頃は、「もっとテレビを見なさい!」と、ある進学高校の校長が呼びかけたと聞いた。聞いた最初は、何を言ってるのかがわからなかった。

 学力調査では、「テレビを見る時間やゲームの時間が多いと家庭学習の時間が少ない。学力調査の点数が低い」との調査結果があるから、「テレビを見る時間は減らそう」となるのが教育界の常識だ。全国学力調査結果では島根県の中学3年生の家庭学習の時間は全国最下位だ。また、過度にテレビやゲームに没頭すると心や脳の発達に悪影響があるとの懸念は払拭されていない。

 それが、「もっとテレビを見ろ」だという。ちょっとの年数の経過でのこの違いだ。しかし、その理由を聞けば、「う~ん!」と唸る話だ。

 今の子どもたちはスマートフォンでのラインやゲームに多くの時間を費やしており、テレビさえもろくに見ないから、社会動向に関心を持たず、社会常識を身に付ける学習がおろそかだという。(もちろん、ここでいうテレビは見ればいいというものではない。時間を決め、番組を選択して見ることだ。)

 もはやそこまでスマートフォンは子どもたちの生活を支配しているのかと考え込んでしまった。調べると、15歳から19歳のスマートフォンの普及率は90%を超えるとある。通信手段ならば従来型のガラケーといわれるケータイで十分だが、スマートフォンの何がそれだけひきつけるのか?「便利といっても、その便利さで得るものと失うものとが両方あるのに」と独りごつ。

 ちなみに、「ガラケー」という用語の意味でさえ皆が知らずに使うが、調べてみたら興味深い。まず、「ガラパゴス・ケータイ」が出てきて、「日本で独自の進化を遂げたケータイ」「ガラパゴス諸島が、外部から断絶された場所であったため、生物が独自の進化をとげたことに例えて名づけられた」とのコトバの使い方だとわかる。そこから検索を進めて、「ダーウィンの進化論の着想の島」「絶滅寸前の陸ガメ(ガラパゴスゾウガメ)は、航海中人間が食べる“生きた肉”などで大量に捕殺したためだ」に学習が進めば、しっかりした使用法だ。 しかし、こうした電子媒体での学習は記憶に残る点では読書に敵わないだろう。

 そうはいっても、地域産品の販売(セールス)のためには、パソコン、スマートフォンでの情報は、もはや欠かせない手段・手法(ツール)となった。よく例に出されるが、自動車は移動に革命的な利便をもたらしたが、“副作用”として交通事故を抱え込んでしまった。この情報革命もそれに匹敵する社会的な遷移と考えられる。

 かつて大宅壮一がテレビの出現時に、人々の精神のありようが画一化され、受動的な人間ばかりの衆愚社会になることを懸念した。大宅壮一ならば今をどうコメントするだろう?情報機器をここまで進化させたのが人間なら、賢く使うのも人間しかない。

 人間が学ぶのは家庭、学校、地域での様々な実体験であり、そこから得られる感動や知的刺激や葛藤だ。それを補完するものは読書やスポーツや芸術だ。それが社会人となっての基礎的な能力となる。青春は勉強、部活動、(場合によっては恋)と、ただでさえ人生で一番ラッシュアワーの時期だ(数学者:秋山仁のことば)。ラインでのやり取りやゲーム、テレビの時間は程々にして、有意義に過ごそう。古詞にも「少年老い易く学成り難し」とある。

トップへ戻る