でんどう

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「最大多数の最大幸福」に?~政治は弱者のために

 今年来日したホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領のことは、あの愛くるしい笑顔の好々爺の好印象もあって、覚えている方も多いと思う。
「世界一貧しい大統領」とか「清貧な生活」が報じられ、皆が好感をもって受け止めた。あの人の好さそうな笑顔に反して若いころはゲリラ闘争の闘士であり、獄中の拷問では何回も死の危機があったとテレビが報じた。カストロとチェ・ゲバラがキューバ革命を成功させた頃だという。

 好々爺のホセ・ムヒカ元大統領とゲリラ闘争の結びつきを深く考えた人間は多くはないと思うが、「ウンッ?」と一瞬考えた者は結構いたはずだ。

 私の場合は感動的、感傷的に受け止めた。
葉巻煙草をくわえるチェ・ゲバラのプロフィール(横顔)は、学生運動家にとって英雄でありスター的な存在だった。

 それは、“発展途上国”の植民地経済体制に対する反体制民主化革命としてのゲリラ闘争だった。ホセ・ムヒカも、正義感と良心に従い反体制運動に参加するうちにゲリラ闘争にまで進んだと容易に想像できる。
だからあの好々爺とゲリラは矛盾しないといえるのだ。

 一方、日本では「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれたのが昭和31年(1956年)で、戦争の後遺症はほぼなくなったとはいえ、当時の学生運動の中では、地域間や階層間の格差、労働者階級の被搾取的な労働などが批判対象で、ベトナム戦争に加担するなという反米闘争が繰り広げられ、その中では、「恒産なければ恒心なし」「貧しさを憂えるのではなく等しからざるを憂う」といった箴言が心に染みた。2・26事件の青年将校や、やくざ映画に感情移入した。

 その後、高度成長による一億総中流と言われる“繁栄”のもとで、私個人的としても社会も、「最大多数の最大幸福」を政治理念として最も良いと考えた。

 今、このベンサムが唱えた理念(後に修正したとの記述もある)に大いなる疑問を感じる。

 政治はむしろ、数は少数といっても、多数からは漏れる弱者、障害がある人、病気を抱え経済が苦しい人、たまたま出生した場所が差別や極貧の地であった人などに対する惻隠の情こそが必要だと思う。
個人の努力では届かない部分に手を差し伸べることが政治の役割ではないか?

 参議院の鳥取・島根合区も、「最大多数の最大幸福」の立場からは「やむなし」となる。道州制を標榜する政党は、人口が少ない地域に住む国民の「地域自治」などは眼中になかろう。数の論理による多数決でのみ事を決し、多数の側からの幸福追求だけに明け暮れては福祉国家とはいえまい。

 非正規雇用の増大、介護難民や介護離職の増大、65歳からの介護保険の保険料の増加。いずれも最大多数ではなくても政治が対象とすべき弱者だ。

 少数の金持ち相手の高額なホテル、マンション、旅行商品や農魚産品も、経済自由主義のもとではかまわないが、政治は弱者のためでなくてはいけない。
ホセ・ムヒカさんを政府特別顧問に迎えたらどうか?ムードが一変すること請け合うぞ。

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