でんどう

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行政と効率性 ~過度な効率主義は危うい~

行政は民間と違ってコスト意識に欠ける。競争原理が働かないから非効率。しゃくし定規で融通がきかない。この類の「お役所仕事批判」には、うなずける面があり素直に聞くべきだと思ってきた。
実際、そういう無駄や非効率、非能率もあった。民間が長けており委託になじむ道路維持などの現業部門、各種特殊勤務手当や年功序列に偏り過ぎた給与制度などがその好例だ。これらは戦後の高度成長の過程にあって「親方日の丸」で膨らんだものであり、確かに改革を必要とし、現に相当程度に改革された。
その後も、財政窮乏の中、待ったなしの財政再建を優先させるなかで、官=非効率、民=効率的・合理的といった固定観念の図式での行政改革が進められてきた。国、地方での「事業仕分け」は効率主義、市場主義を最優先する物差しで進められた。
ここにきてその弊害も出てきた。例をあげれば、外部(民間)委託では、弾力的な運用などの民の長所を活かす面よりも、コスト削減が優先され、受託者の職員は非正規労働やパート労働が大半というケースが生じる。また施設運営では、本来の設置目的の事業にまで金が回らなくなって“単なる貸館業”に甘んじるところも出てくる。厳しい財政とお役所批判が続くなかでは行政職員は閉そく感を感じ内向的になり、明日の国家や地域を展望した創造的な施策がなかなか生まれない。地域の活力やコミュニティの衰退も危惧される結果となる。
いうまでもなく、財政は窮乏著しく、高齢化で厖大な社会保障費はさらに増大し、少子化では労働人口は減少する。この未曾有の危機にあって、国家や地域の盛衰を決める政治や行政には、将来を展望した長期的戦略が必要だ。激痛を覚悟の厳しい施策の取捨選択と不断の改革・改善も避けて通れない。ばらまきや“あれもこれも”は無理。「何かをやる選択」とは「何かをやらない選択」でもある。制度と財政を両睨みした、理念と哲学をしっかり押さえた骨太な施策、小手先の利害や打算、党利党略、地域エゴなどではない施策が必要だ。
そして、この厳しい選択にあっても決して忘れてはならないのは、「医療・福祉・介護」や「教育」などの公共の福祉、「日本の伝統文化とその基盤をなす地域の多様性の維持継承」は最も優先すべきということだ。これらの領域は、“コストのみを重視する視点”での市場主義や“完全な”自由競争にさらすことはなじまない分野だ。受益者の応能(自己)負担増と安価で効率的なサービスをねらうあまり、低取得者や経済的に弱い地域(過疎・中山間地域、大都市から遠い地方など)が切り捨てられてはならない。「行政とは何か」、「行政と民間との違いは何か」の本質を深く掘り下げた検討と施策が必要だ。 
  「行政の効率化のため」として推進された市町村合併ではどうだったか?幸いに、各地域の協議会では“効率性のみを重視する考え”には拠って立たず、地勢や歴史・文化・風土などの地域性を尊重して“生きる道”を選択した。この賢明な選択によってさえも、国、地方財政の窮乏などと相俟って元町村役場があった旧中心地では危惧されたように活力の衰退が懸念される所がある。 道州制では県がなくなり、例えば中国州となる。そして県の業務の大半の受け皿となりうるよう小規模な町村の再合併が前提だという。
われわれは、合併議論をつうじて効率化のための「大きいことはいいことだ」は、無思慮に地域自治に適用できるものではないことを学習した。道州制は、平成の大合併から何も学習せず、地方自治には不可欠な文化や地域特性の視点を全く欠く机上論といえよう。

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