でんどう

地域振興に関わる様々な方の意見、主張を掲載していきます。

ジジ(爺、時事)対話」

 「町長の卒業証書」(泉道夫元仁摩町長著)を再読した。2010年に他界したジイさんを偲ぶ気持ちとともに、ジイさんなら道州制にどう対応しただろうかと、今後のヒントを探そうと思ってのことだ。勿論、ジイさんは反対に決まっている。問題はそのための論理と方法論のヒントだ。ジイさんは、新聞記者出身で、町長当選直後、お年寄りが作った出来のいい”わらじ”を京都太秦の時代劇撮影の映画村に売り込んだ男だ。わらじは評判を呼び、当時のジャンボジェット機の国際線パイロットが「足がむれなくていい」からはいているというエピソードもあり、「わらじ空を飛ぶ」とか「わらじ町長」とかが話題になった。
 仁摩サンドミュージアムの1年砂時計の発想は、琴ヶ浜の鳴り砂を地域資源ととらえるとともに自然保護のシンボルとしようとの発想で始まった。この事業は、竹下内閣の目玉事業であった「ふるさと創生」の模範生として竣工(しゅんこう)式には竹下元首相や賓客が多数列席した。学校の教科書にもサンドミュージアムは載った。10分計が可能だからといって1年計が可能とはならない。砂時計の上部のガラス球から下部のガラス球への小さな落とし口(ノズル)には上部の砂の圧力が集中する。それでいて砂が詰まることなく水のようにスムーズに落ちる必要がある。
 多くの難問の解決は同志社大学の三輪茂雄教授の研究と、国内ではかなわず海外に探し求めたドイツのガラス容器製造会社など多くの関係者の前例のない取り組みの結果であった。”発展途上人”の私は、地域を思い、地域を生かすその柔軟な発想と執念、エネルギーに随分と刺激を受けた。
 昭和から平成に移行する頃。地方分権推進法が施行され「地方の時代」が本格化した時代のことだった。県と市町村は強い紐ひもでしっかりと脚を結びあった二人三脚でさまざまな活性化の取り組みを進めていた。
 ジイさんは道州制についての具体的な”お告げ”はしてくれなかったが、代わりに「市町村合併後の成果と現状に学べ」と神託してきた。ジイさんは、市町村合併は旧町村役場地域などが廃れる懸念があり、市町村の足腰を強くするとの表向きの正論には必ずしも賛成ではないが、石見銀山の活用などは広域的な取り組みが必要との思いがあり、政治主導で流れができてしまってからは、「いい合併」にギアを切り替えたと思う。
 「いい合併」とは、合併によって地域の”へそ”である役場がなくなってもその地域が廃れることはない合併である。残念ながら、大なり小なり旧役場地域の経済は衰退した。それを上まわる新市町村全体の活力が増進したならばバランスシートはプラスとなろうが地域活力の分析結果はどうだろうか。大きな括くくりの合併と小規模な合併では差異が出た気がする。
 ジイさんが残したような地域振興の足跡は、県庁との二人三脚よりも県を廃止した道州制の方がやりやすくなり、効率的で成果が挙がるのだろうか。推進派は答えていない。
 ジイさんが常に気にかけていた石見銀山の調査・研究、活用、世界遺産登録は大田市と県との、時には考えや意見の対立もある中でそれを調整しながらの協働事業であった。
 わらじもサンドミュージアムも石見銀山も宅野子供神楽も地域個性である。歴史資産や伝統文化である。それを尊重しようと思う文化の共通性を基盤とするものこそが地方自治である。単なる中央対地方の関係での「地方分権」ではない。道州制の方が県・市町村制よりも何がどう優るのか、それを誰もどこでも議論しないまま道州制が進められることに不条理を痛感する。何のアクションも起こさぬならば、お前はこちらに来させぬとジイさんは深更に託宣する。その時には、かつて師事した松本潤元石見町長、三賀森勝元三隅町長、宮岡寿雄元松江市長ならばどうしたかと夜中に対話し思いを巡らす。

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