でんどう

地域振興に関わる様々な方の意見、主張を掲載していきます。

「ありがとう」と「互助、共助」

 過日、積年の懸案であった股関節治療のため入院手術した。病院は、玉造厚生年金病院である。一時期、保険年金財政の健全化論議の過程で病院の存廃問題が俎上に上ったが、整形外科としての高い専門的技術力などが評価され、存続された。
 幸いであった。これ(玉造病院)は、島根県にとっての貴い財産である。
 その理由をあらためて述べると、第一義的には、他県からの多くの患者にも対応する高度な地域医療を担うことだがそれに留まらない。病院があることで、物資の供給、施設管理など地域経済の産業連関が形成されていること。直接的な医療・看護職の雇用はもとより、産業連関に関連して相当数の雇用に寄与していることや、島根の知名度を高める意味においての財産である。
 入院期間中、夜を日に継いでの心のこもった看護やリハビリを受けた。
 朝のお茶配りに始まり、配膳、下膳の食事から、体位転換、体拭き、部屋掃除、下の処理、採血、リハビリなど、受けた世話の累計は語呂合わせで言えば、1116(いいいりょう)回だ。
 患者の私は、その世話を受ける度ごとに、日頃の口うるさい「小言幸兵衛」をひとまずおいて「ありがとう。ありがとう。」を繰り返す。
 「ありがとう」は、「有り難し、有りえないことが有る」の意の仏教語が語源だ。縁あって「有り難いことがある」として、人智の及ばない自然の摂理や他者の行いなどに感謝する言葉だ。
 こうした病院内での毎日の医療に自然に「ありがとう」を言うことと、「医療や教育もすべてがサービス業だから、サービスを受けるのは当たり前」とする金銭合理主義の考えとは相容れない。
世話をしてくれる職員にしても、給料をもらっての仕事であるからといって、「金と引き替えに時間の切り売りをしている」という意識は全くなかろう。
病院に限らない。バスやタクシーの乗車、スーパーのレジ、ラーメン店などすべてのサービスの場にあって、提供する側も受ける側もがお互いに「ありがとうございます」、「だんだん」を飛び交わす、そうした地域になって欲しいと願う。ふるまい向上県民運動でも「ありがとう」は重要なキーワードの一つだ。
これは、お互いが個として尊重され、相互に顔の見える関係でもある。かつてあった”なつかしい風景”だ。劣化し廃れたとはいえ、われわれの地域にはまだまだ残っている良俗でもある。
「金を払ったんだから、サービスを受けるのは当たり前」とし、医療や教育、果ては文化も金銭とサービスの授受で片付けてしまう精神の貧しさ。経済活動は心をもつ人間が営んでいることだと認識しない干からびた倫理観。
それこそが、いじめや幼児虐待、家庭内暴力、直ぐにキレル社会現象、自己中心主義などの「社会が抱えこんでしまった社会病理」の原因ではないか。
社会の中で皆が支え合う互助、共助。そこに「ありがとう」の言葉が行き交う。そうした心の通う地域づくりこそが「地域信仰(振興)教」の目標である。
「美しい国・日本」はここにある。             

(諒)

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