でんどう

地域振興に関わる様々な方の意見、主張を掲載していきます。

「見ざる 聞かざる 言わざる」の本意

 本稿で、「見ざる、聞かざる、言わざる、せざる、動かざる」ではなく、「見るぞう、聞くぞう、言うぞう、するぞう、動くぞう」の現場主義「5ぞう」型人間を提唱した(7月14日付け)。幾人かの方から賛同の声をいただいた。
 「心ここにあらざれば視れども見えず、聴けども聞こえず、食してもその味を知らず」というが、見て、読んで、感じていただいた方に感謝する。
 テレビはもとより、ウェブ、フェイスブック、YOUTUBEなど様々なメディアが情報を洪水のごとくに流す中にあっても、新聞は自らのペースで読めるし、読み返しも切り抜きも可能な事から、大事な情報を得、記憶する手段としては最も優っている。新聞は引き続きしっかりとした“社会のオピニオン・リーダーの主役”であって欲しい。世の関心は易きに易きに流れている気がするが、それにおもねることはない。

 ところで、冒頭の「見ざる、聞かざる、言わざる」であるが、今まで浅学でその意味するところを深くは知らず、日光東照宮の猿の彫刻を思い浮かべる程度の漫然とした理解だった。真意は「心を惑わすようなもの、他人の欠点など」を、「見ざる、聞かざる、言わざる」だという。
 調べると、「天台宗の漢語にある」とあった。
 実は、伏線がある。
先日偶然目にした新聞の身の上相談の答欄に「見て見ぬふり、聞いて聞かぬふりも時には必要」とあり、目から鱗が落ちる思いで心に刻んだ。答欄は、「思いどおりではないからと、いちいちそれをとがめるな」との家庭円満のアドバイスであったが、もっと普遍性があることに気づいた。
 これは、リーダーの一要件と考える「“時には”、見ても見ぬふりをしろ。知らぬふりをしてよく聞け。気がついても辛抱して待つ鈍(馬鹿)になれ」と一致する。
 以前に本欄で松下幸之助さんの言葉である「(リーダーは)一般論をいえばあまり利口すぎないほうがいい」を紹介した(4月14日付け)。
 この「利口すぎない」ことは、時には「見ぬふり、聞かぬふり、余計な指示はしない(言わない)」ことにも通じる。

 このように考えると「見ざる、聞かざる、言わざる」は含蓄ある言葉だ。ただし、“いつも”では「鈍」ではなく「愚鈍」になってしまう。“時には”が味噌である。
 これは消極的を意味するものではない。地域、日本、地球の進路を決定する重責を負うリーダーには、冒頭の「5ぞう型」の積極性と、この「時には鈍」の両面性が求められるといえる。
 風雲急を告げる外交にみれば、「用意周到」に情報を収集分析し「積極果断」に対応して欲しい。しかし、時としては「剛直一途」ばかりではなく、「深謀遠慮」に、「見て見ぬふり、聞いて聞こえぬふり」をする“かけひき”や“したたかさ”、“しなやかさ”なども必要だ。
 いつでも普遍的には通用しないのが「俚言(りげん)のいい加減なところだが、処世訓として心に留める価値はある。

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