自立とふるまい向上

 私事に関わることで恐縮だが、先日、二男が結婚式を挙げ、私どもの子育ても最後の”卒業式”を済ませた。息子の謝辞に「おごらず、謙虚に、他人(ひと)の気持ちがわかる人間になりたい」とあった。
 社交的な「ええかっこう」をしただけかどうか?少しは社会人としてのふるまい(挨拶、礼儀・作法、他人の気持ちを解する、卑怯を恥じる、弱い者をいたわるなど)を身につけたのかなと親ばかの贔屓目で甘く採点する。
 島根のふるまい向上県民運動は4年目を迎えるが、学校、公民館を中心とした呼び掛けで、地域や家庭でも意識してふるまい向上の取り組みがなされていると聞いて喜ばしい。子どもはすぐに順応するから、ふるまいも成長過程で適時的確に教えれば身につきやすい。逆にいえば、成長過程のしかるべき時にしかるべき教育がなされることが必要である。そうであるから「江戸しぐさ」といわれる「三つ心 六つしつけ 九つ言葉 十二文 十五理(ことわり)で末決まる」という成句が力を持つ。解説すれば、「3歳まではしっかりと愛情を注ぎやさしい心を育てる、6歳ごろには世の中のやっていいこと悪いことを厳しくしつける、9歳ごろは言葉遣いや挨拶を教える、12歳ごろは文章がしっかりと書けるように教育する、15歳ではそれらを統合した独り立ちのできる、世間で一人前に通用する人間づくりをめざす」とでもいうところだ。当時は「世間体」や「お天道様が見ている」という社会的規範があった。
 現在ではこの規範力は衰退したが、ふるまい向上のためには、「世間にあたる大人社会」が模範を示すことだ。
子どもたちのふるまい向上の取り組みに反して、公共の場での、大人のふるまい(マナー)の悪さが気にかかるし、車の運転にいたっては、我がままで無謀な運転や駐車など、年ごとに悪くなっていく気がする。
世代間でのコンクールをやったら、小中学生が第1位、ビリ争いが60代以上の各年代とならぬよう、島根県高齢社会ビジョンのうたう「おしゃれで凛」で生きたいものだと自分に言い聞かせ、他人(ひと)にも求めたい。
近頃は、「自己中心」(ジコチュウ)が世に蔓延する。国家も政党も為政者も、下々の我々の社会も、老若男女も問わない。ジコチュウは、社会に対する配慮のない、大人になりきれない甘えのある(自立しない)人間で、甘えはふるまいの劣化に通じる。この甘えは、親からの自立(親離れ)の悪さも要因の社会現象だと思うし、親が子離れしてやらねば子も社会的に自立はすまい。
 そこで、「子どもを自立させる子育ての卒業式を終え、今度は親が子から自立し、子離れをしてやらないと」とやせ我慢で自戒する。
 就職活動の人物評価で問われる「社会人基礎力」とは、「社会人としてのきちっとした(しっかりした)ふるまいができること」である。
 それは普段から心がけて身につけることであって、就職活動で急にそうしたふるまいができるものではない。これは流行に左右されない不易(常に変わらぬ道理)といえよう。 

(諒)


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