スタッフのひとりごと

定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。

Diary

2022-03-31 年度最終日

あっという間に、3月31日、年度の最終日を迎えました。

1年前、はじめて定住財団にやってきてから、そんなに時が経っていないように感じていましたが、あれから1年経ちました。

この1年、本当に、皆さんに助けていただきながら、何とか仕事をやってこれたように感じます。
県内に就職したい学生のみなさん、移住の相談される方、U・Iターンされた皆さん、これからU・Iターンを考えている皆さん、地域で頑張る皆さんに、前向きに、親身になって寄り添う財団の皆さんの姿に、そしてそのパワーにいつも感心ながら、私もそのパワーのおすそ分けをいただいていました。

そして、また、それらの仕事をみんなで助け合いながらしている姿に、一人の力は微々たるものでもチームとなって取り組むと大きな力になることを、改めて感じることができました。

4月からの新年度も、このチームで一丸となって、頑張っていきたいと思います。

それと、3月は別れの季節。
今日をもって財団を去られる方、本当にお世話になりました。今後のご活躍、ご健勝をお祈りいたします。ありがとうございました。

(一涼)

2022-03-30 あっという間の3か月

123月は、日が過ぎるのが早いと言われますが、

この3か月を振り返ってみると、本当にそうだなと感じています。

 

子どもが進級、卒園する前に色々としておきたいなと思っていましたが、気が付けばもう3月末。

年末に考えていたことがほとんど出来ず、親として後悔しながら新たな春を迎えようとしています。

 

仕事でも、今になってあれこれと思いを巡らせることが多くなってきて、

13月の過ごし方は難しいなと反省しきりです。

 

私自身、この3月末で財団に入ってから干支が1周します。

毎年、この時期に多くの別れと出会いを経験していますが、今年は同期を見送ることになりました。

思い起こせば、常に背中を追いかけてきて、勉強させてもらうことばかりでした。

あっという間の3月末で、いよいよ財団を離れられますが、しっかりと見送りたいと思っています。

(京)

2022-03-29

3月27日「さくらの日」にちょうど満開のソメイヨシノを見られました。(写真)

桜の花言葉は「精神美・優美な女性・純潔」
…残念ながら私は一つも持ち合わせていませんが、美しい桜を見ていると、
お腹の黒さも白くきれいに洗われていくようでした。

別れと出会いの時期ですが、会えなくなる人と今後もご縁をつなげていけるかは自分次第。
いつでもどこでも簡単に連絡が取りあえる現代において、自分はマメじゃないとか、
SNS不精とか言って理由をつけて手段を絶っていてはもったいない!
と桜を見ながら自分に喝を入れました。

4月からの生活に変化がある方もない方も、心がざわめく今日この頃ですが、
みなさんが明るく前向きな気持ちで春を迎えられるよう祈っています。

桜2204.jpg

(たつこ)

2022-03-25 親父の背中

継ぐもんか 気づいてなかった 若い頃 今は憧れ 親父の背中

 

これは平成27年に第1回“農業・農村はかっこいい”和歌募集に応募した和歌です。

 

私が中学生の頃、突然、親父が漁師になると言い出しました。

無口で厳格な親父。家族誰もが反対どころか、意見することさえできませんでした。

思春期の私にとって親父の決断はたいへん衝撃的なものでした。

我が家の将来を案じると同時に、親父が漁師だなんて恥ずかしくて友達に言えませんでした。

正直、カッコ悪いと思いました。

 

私は35歳の時に島根へUターンし、ふるさと島根定住財団に入りました。

これまでに県内各地で活躍されるNPO法人や地域づくり団体の皆さん、農家さんや移住者の方々と出会うことができました。

どなたも元気で、キラキラしていて、逞しい。

過疎化が進んで疲弊した田舎のイメージとは程遠く、悲壮感は全くありません!

暮らしの中に知恵があり、仕事の中に技術がある。いずれも一朝一夕で身に着けられるものではなく、世代を超えて継承されてきたものばかりです。

しかし、担い手不足は深刻で、これらの知恵や技術を次世代へどう受け継ぐのか、さらなる対策が急がれています。

 

そして、それは我が家でも同様です。

昨年、親父が倒れました。初めての入院でした。

このことがきっかけとなり、いよいよ世代交代の時を迎えることとなりました。

 

Uターンして11年半になりますが、手伝いらしい手伝いはほとんどできていません。

それでも休みの合間を縫って手伝いをするのですが、無口な上に口下手な親父は決して丁寧には教えてくれません。まさに親父の背中をみて学ぶしかない!

 

そんな親父の背中がいつしかカッコいいと思うようになりました。

これまでに出会った方々同様に、田舎で生きる逞しさを感じます。

自分にはその技術も経験もありませんが、親父が元気なうちに直接学べることはありがたいことだと思います。そして、このことが一番の恩返しになるんじゃないかと思っています。親父は決して口にはしませんが。

 

フランスの哲学者ナタリー・サルトゥー=ラジュは著書「借りの哲学」でこう言っています。

 

自分の世代だけで、すべてを零からつくりあげることはできないので、あとの世代は前の世代の残したものを利用するしかない。

それがつまり《借り》になるのである。

だが、その《借り》を直接、前の世代に返すことはできないので、前の世代が残してくれたものに新しいものを付け加えて、後の世代に引き渡すことになる。

それが《借り》を返すということだ。

したがって、この《借り》は世代と世代をつなぐ絆にもなる。

 

これまでの「借り」に感謝し、世代を超えて「恩返し」をすること。

それが私たちの使命なのかもしれません。

 

悩みに悩んで出した今回の決断。今思えば7年前にこの和歌を詠んだ時すでに自分でも気づかないうちに覚悟をしていたのかもしれません。

 

当財団でお世話になって11年半。とてもやりがいのある仕事でした。この仕事に関われたことを誇りに思います。

これからは違う立場にはなりますが、島根を少しでも元気にできるように精進したいと思います。

これまで、本当にありがとうございました。

(スマイル (*^-^*)/)

2022-03-23 土を耕す

 週末に実家の畑で野菜の植え付けを手伝うことになり、種や苗を植栽する前に、土を掘りおこす作業を担当しました。

耕運機の使い方を一から父に習い、重いハンドルを握って、畑の中をくねりながら、西へ東へ、北へ南へ。限られた時間の中、できるだけスピーディ-に耕運機を動かそうと頑張っていると、その様子を見た父から、「もっと、ゆっくり」と声が飛んできました。

 耕運機を早く移動してしまうと、下の土を深く掘りおこすことができず、野菜の種や苗が喜んでくれる土の状態にならない。ゆっくり、じっくり、土を耕すことが、良い野菜を育てるために大切なんだということを、父は言いたいようでした。

 掘りおこされた土を見ていると、日々の暮らしの中にある仕事や人間関係についても、同様なことが言えるのかもしれない、と感じました。

 効率だけを考えれば、“より早く”が求められますが、しっかりその地に根を下ろそうとすると、あえて、ゆっくり、じっくり時間をかけて、深く足元を掘りおこしていく作業が、必要なのかもしれません。

 この春。様々な変化を迎える中にあり、正直不安もありますが、耕運機の操作でできた左手指のまめを思い出し、あせらず、たゆまず、一歩ずつ、進んでいければと、思います。

(でんでんむし)

<定住財団TOPへ

まだしまね登録してないの?

トップへもどる