スタッフのひとりごと

定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。

Diary

2022-05-31 物事を捉える視点の難しさ

22年前ですが、紛争が終わって間もないコソボに1ヶ月ほど滞在したことがあります。

街は破壊しつくされ、あちこちに急造の集団墓地があり、子どもたちが遊んでいた広場にはガラス破片やがれきが散乱したままになっていました。

 

交通の各要所には、戦車や重火器が配備され、治安は世界中から展開されたPKO部隊の軍事力によって守られていました。

 

それまで、私は「軍事力は一切不要」と思っていましたが、侵略された地域を守っているのもまた軍事力でした。

 

その恩恵で私の滞在も無事終えられたこと。あるいは、軍事力は不要だから攻撃されても反撃しないとはとても言い切れない自分に、「一切不要」という捉え方がいかに浅いものであったかを思い知った瞬間でした。(だからといって、今、軍事力が必要と思っているわけではありません)

 

あちこちで、「この子たちを助けて欲しい」と懇願され、悲惨な写真や映像を見せられます。

その度に胸が締めつけられるような思いがしましたが、当時、通訳をしてくれていた専門家からこう言われました。

 

「大人たちが、(ある意味、子どもを利用して)支援を求めるのは、常套手段だから、その一つ一つに惑わされない方がよい」

 

今、ウクライナ報道で、子どもたちの映像がたくさん流れてきますが、その度に当時の通訳の言葉を思い出します。(ウクライナの子どもたちが利用されているという意味ではありません)

 

話は変わりますが、仕事で保健所の業務支援に行く機会がありました。島根県は感染者から行動歴を聞き出し、積極的にPCR検査を実施しています。保健所の業務量は本当に大変なものでした。

 

しかし、人口の多い都道府県では、そこまで対応していないところが増えてきています。

最近、感染者数の減少傾向が報道されていますが、以前は検査で捕捉できていた感染者を追わないわけですから、本当に減少しているかどうかはわかりません。

 

私たちは、様々な場面で物事を捉えて判断していきますが、その根拠となる情報量や視点の複雑さや難しさを改めて痛感した最近の出来事でした。

(和)

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