スタッフのひとりごと

定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。

Diary

2025-05-12 大阪万博で石見神楽

 大阪万博がいよいよ開幕だ。前回1970年の大阪万博の時は小学生だった。未来の世界や宇宙にワクワクしたのを覚えているが、当時は残念ながら連れて行ってもらえなかった。

 それから55年ぶりの大阪での開催だ。子供の時の夢を果たそうと今回はぜひ参加しようと行く時期を検討していたが、出身の浜田市から6月に石見神楽の公演があると聞き、そのタイミングでいくしかないと決定した。

 島根県西部の人は石見神楽と聞くと落ち着いていられない。子供のころから聞きなじんだお囃子は体に染み込み、血沸き肉躍る。その中でも人気演目は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)だ。頭数の多さが迫力につながるが、以前コロナ禍前東京公演があった時は50頭のオロチがステージを舞いすごい迫力だった。

 今回大阪万博ではそれを上回る55頭のオロチが舞うそうだ。地元もよく頑張った。踊り手がよく集まったと思うが、地元の神楽人口を思えば意外と簡単に集まったのかもしれない。

以前県西部へ高校留学した人が現在東京で石見神楽の舞手になっていたり、移住後は子供に神楽をやらせたいなど、神楽移住も少なからずある。

 神楽きっかけでさらに移住者が増えることを期待もしている。

(ダボ)

2025-05-09 ネガティブ・ケイパビリティ

最近、ある漫画原作のNHKドラマを欠かさず見ています。
主人公は膠原病を発症し、一見日常生活は不自由なく送れているように見えるものの、昔と同じように、また健康な人と同じようには物事が上手くいかない。そんな日々を送っています。
周囲の優しい人たちとの出会いもあり、食事や生活を見直して“自分を大切にすること”を意識した丁寧な暮らしへの変化が描かれます。

その中で、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉が出てきました。ネガティブ・ケイパビリティとは「不確実なものや未解決のものを受容する能力」。自分ではどうにもならない状況に遭遇した時、急いで解決策を出そうと焦らない、ありのまま受け入れる(耐える)ことが出来る能力といったイメージでしょうか。さらに言うと、立ち止まりじっと考えることで自ずと答えは出てくると・・・。

実は私も持病があり、このドラマ自体が共感の嵐なのですが、健康だった頃の自分と比較したりあと一歩頑張り切れない自分に落ち込んだり。
一見仕事をするうえでは「ポジティブ・ケイパビリティ(積極的に課題解決に動く姿勢)」が好まれることが多いかもしれません。でもどうにもならない物事にぶつかった時、その状況にじっと耐え得る自分になる、いったん立ち止まるという考え方も生きていくうえでのヒントになりそうです。

(R)

2025-05-08 今、ハマっていること

新年度がスタートし、あっという間に4月が終わりました。

今、私のハマっていることは、お花屋さんのインスタグラムをみることです。

花束を作っている動画だったり、お店に並んでいるお花の写真とかを、仕事終わりや家事の合間に見てはちょっと一息、ホッコリ、癒しの時間です。

また、この時期は新緑もキレイですし、ツツジ、芝桜、フジの花、松江ではナンジャモンジャも満開、キレイですよ!

我が家のナンジャモンジャもしっかり咲いています!

毎朝、玄関を開けたらナンジャモンジャの白い花が目に入ってきます!

さぁ、今日も頑張っていこ〜って、気持ちになります!

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(misora)

2025-05-07 あきらめることの良さ

「あきらめる」と聞くと、皆さんはネガティブなイメージですか?それともポジティブなイメージですか?

私の時代は「あきらめる」ことはどちらかと言うと、よくない意味で使われることが多く、
「あきらめたらそこで終わり」だとか、「最後まであきらめるな」等の言葉をよく聞きました。

ただ実際は、あきらめが肝心なときも時と場合によってはあるものでして、
しかしながら、先時代では「あきらめるな」が独り歩きし、
何でもかんでも「あきらめるな」というマインド自体が良しということで、
ときには、人を追い込んでしまう・・・ということもあったりするのでした。

※「あきらめるな」の精神が大切になるときもあるので、これも時と場合です。

かくいう私も、以前は「あきらめるな」精神を大事にしており、
ときには壊れるまで愚直に続けたりもしていて、
どちらかと言うとあきらめが悪く執着するタイプだったかなと思います。

しかし、今ではこう思います。
何でもかんでも、あきらめず続けることに、自分の人生リソースを割くのはいかがなものかと。
場合によっては早めにあきらめることも大事ではないかと。

人は、何かを得れば何かを失うものです。
全てを握りしめることができる人もいるんでしょうが、それは一部の人でしょう。
時は移ろい、状況は変化します。
その時々で大事なことも変わっていきます。
ですので、その度大事なことは何か分析し、そのために現在実施していることが最良なのか、
あきらめた方が良ければ、ぱっとあきらめて方針変更することも重要ではないかと思います。

目的につながらないのに、あきらめられないのは、恐らくただの執着になりがちですし、
執着が続くと、「あきらめたいのにあきらめられない!」という状況になることも。
自分も経験があります。恐ろしや・・・

そうなると限られた時間、エネルギーや資源がもったいないかなと感じております。


※もちろん、大事なことのためにあきらめないことが最良であれば
 「最後まであきらめるな」スタンスが良いでしょう。


ということで、あきらめることもときには役に立つというお話でした。

最後に最近流行りのAIさんにも聞いてみました。
Q「あきらめることのメリットは?」


A「諦める」ことのメリット
  ・時間やエネルギーの余裕
   何かを諦めると、それに費やしていた時間やエネルギーを他のことに注ぐことができます。
  ・新たな可能性:
   諦めることで、これまで見えていなかった新たな目標やチャンスを見つけることができます。
  ・心の平穏
   諦めることで、執着から解放され、心の安定を取り戻すことができます。
  ・真実の発見:
   諦めることで、物事の本質や真実を見抜くことができるようになることもあります。
  ・現実の受け入れ:
   諦めることで、状況を受け入れ、前向きに未来へと進むことができるようになります。
 「諦める」ことの注意点
   ・自己肯定感を失わないこと:
    諦めたからといって、自己肯定感を失わないようにすることが大切です。
  ・新たな目標を見つけること:
   諦めたことで、新たな目標や挑戦を見つけることができれば、より良い人生を送ることができます。
  ・自分を責めないこと:
   状況によっては、諦めることが必要な場合があります。
   自己を責めず、その事実を受け入れることが大切です。


「自分を責めるな」「新たな目標を見つけよ」というアドバイスまで!
AI恐ろしや・・・

(つかさ)

2025-05-02 啐啄同時(そったくどうじ)を思い出す

新年度がはじまって1か月が経ちました。
4月は、ほとんど毎日石見地域の現場に出かけ、夕方は歓迎会や懇親会などに加え、懇意の仲間たちとの飲み会に明け暮れる毎日でした。

楽しい思い出がたくさんできたと同時に、新しい出会いもたくさん。
地域現場に飛び出したい学生たちや、この地域を守りたいと奮闘する大人たち。
人間として本当に大事にしたいことを実践すべく石見に移住してきたご家族。
民間の立場から街づくりに取り組みたいと新たな仕掛けに挑戦する企業のみなさん。
そしてその動きに「啐啄同時(そったくどうじ)」といわんばかりに前傾姿勢で支援に乗り出す行政の仲間たち。
そんな人たちとの出会いがたくさんありました。

この「啐啄同時」という言葉、難しいですよね。
わたしが定住財団1年目のとき、3代前の理事長・藤原義光さんに教えてもらった言葉です。

意味は、
「雛鳥が卵の中から殻をつついて鳴くこと(啐)と、親鳥が外から殻をつついて助けること(啄)が同時におこる様を指す言葉」だそうです。
この啐と啄が同時に中と外から硬い殻をつつかなければ、新たな雛鳥は生まれてこれないのだそうです。(へぇ~!)
この訓示をうけながら、民間と行政の関係性を教えてもらいました。

そして、この「啐啄同時」は、先輩や後輩、上司や部下の関係性においても同じことだよ、と説かれたことを思い出します。
(石見で生活していると、過去に財団の先輩たちが折に触れて説いてくれていたことをよく思い出します。なんででしょうね)

4月になってチームメンバーも新たな構成になりました。
周りの声をじっくりきき、「啐啄同時」に反応できるひとで在りたいなと思います。

(珈琲うどん)

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