スタッフのひとりごと

定住財団スタッフの日々のつぶやきをお届けします。

Diary

2025-07-02 なんともいえない

何ということでしょう。

梅雨があけました…。

 

この前、梅雨入りしたばかりだったのに、いつの間にか梅雨があけていました。

湿気を心配する間もなく、そもそも雨降った?ぐらいの感覚で、夏に突入です。

(平年よりも3週間くらい早い梅雨あけのようです)

 

今年は、久しぶりに梅酒をつけることができて、梅雨を楽しみつつあった矢先。

まさかのニュースに「え、梅雨あけ!?」と連呼していました。

 

おかげで、今週は晴れと猛暑日が続いています。

せっかくの夏なのに、暑すぎて外で遊ぶのにも危険すぎるし、

梅雨をすっ飛ばして季節感が無さ過ぎて、なんだかなーという心境です。

(京)

2025-06-27 自分だったらどうしてただろう

昨日お客さんから聞いた話

地域の行事として、小学生と高齢者の交流イベントがあり、いずれも10数人の参加があった。
楽しい体験をした後、車座になって感想を言い合った。
最初に発言を求められた小5の子が小声でぼそぼそと言い始めた。
そこへおじいさんの一人が
「はっきりと大きい声で話さんと聞こえん!」
と強めに言ったところ
「はい。わかりました」
と言って、その子をはじめ、2番目以降の子も出来る限りの声で話したとのこと。

この話を聞いてまず思ったことは、
この令和の時代にそういう言われ方に慣れておらず、萎縮してしまう子どもが多いのではないか。

ところがその子と翌年に再会したときに
「あのとき叱られたことに感謝してます。相手にちゃんと伝わるように話すことを心がけてます」
と言ってきたらしい。

当時もっと優しく
「もう少し大きな声で話してみようか」
などと言われていたら、その子はそこまで感謝し、1年経ってもそのことを覚えていただろうか。

他人に対する無関心であったり、余計なことを言うことでのトラブルを避けたいという風潮がある中で、このおじいさんの言動は少なくとも一人の小学生を変えたと言える。
とは言え、ハラスメントや恫喝と捉えられたらアウトという時代に、昭和方式はやはり通用しにくいことも事実である

(蝮)

2025-06-26 暮らさないとわからない地域の微妙な差

6月21日は夏至でした。1年の中でお昼が一番長い日。
島根ではこの頃になると20時くらいまで明るい事が多いです。

以前島根に関東から移住されて来た方とお話ししていたところ
「島根って夕方が長いよね」と言われました。「1日が長くて得した気分になる」と。
島根県外に暮らしたことがない私にとっては完全に盲点。
調べてみると東京と島根では約30分日の入りの時間が違うではないですか。
反対に日の出は島根が30分遅い。
「東京の人は朝活をしているイメージがあるけど、真っ暗なのによく朝起きて動けるなぁ」
と前から思っていたのですが、そもそも夜明けが早いのですね。
小さな事かもしれませんが、こういうことが積み重なって風土や文化を作っていくのかも?
と改めて思いました。

暮らしてみないと分からない微妙な違い、今後も見つけていきたいです。

(山の子)

2025-06-25 ひとり言

先日、地区の恒例行事の花田植えがありました。
この日のために、保存会の皆さんは毎週練習を重ねてこられました。
当日は飛び入り参加の早乙女の方もおられ、小さな田んぼに30人の参加者が入って田植えをされました。
田んぼの周囲には衣装を着た笛や太鼓の楽器演奏の方や踊りをする人など、とても賑やかな花田植えになりました。
このような伝統行事を継承していくのは、地域の方の努力があればこそだと思います。
今年の秋にはもち米を収穫して、年末には餅つきで地域が賑わいます。
普段はひっそりとしている山あいに活気が出て、また来年も頑張ろうという意欲に繋がると思います。
今後もこの取り組みが継続していくことを願っています。

(ちょこ)

2025-06-23 豆ごはん

えんどう豆が店頭に並ぶこの時期、豆ごはんを作るのを楽しみにしている。

さやから出してある豆も売ってはいるけれど、さやを割った時にお行儀よく並んでいる豆を目にした時は何とも言えず嬉しい気持ちになるのでさやごとのえんどう豆を買い求める。

この、さやむきをする時、幼い頃のお手伝いを思い出す。

畑から帰った祖母に「お豆を出すお手伝いして~。」と言われて、今、私がスーパーから買って帰る量とは比べ物にならないほどの豆のさやむきを始める。綺麗な緑色の豆が並んでいるのを見るのは子供心にも嬉しく、好きなお手伝いで、お豆を容器に出す時のコロコロという音も楽しかったものだ。

今は一回の豆ごはん用の量だから、両手いっぱいくらいの豆のさやむきだけど、お手伝いをしていたさやむきの時間を思い出すと、亡き祖母や、幼かった自分や、随分とたってしまった年月や、様々に胸にせまりくるものがある。

母から教わった塩加減で作った豆ごはんが炊きあがって蓋をあける時、その切ないような気持ちは一転して、ただただ美味しく出来た嬉しさに変わる。毎年、年に数回の豆ごはんつくりは、さやから出す時に幼い頃のお手伝いを思い出して感慨深い気持になる事も含めて、この季節の私の楽しみである。

(ウ)

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